元 連合会長日記

2015年春から自治会連合会の会長をしていましたが、7年で辞めました。。

自治会連合会の問題点

 過去に何度も書いてはいるが、もう一度おさらいしたい。

 連合会に来る自治会長は各単位自治会で所定の方法で選出された方である。大半は、順番とか、くじで選ばれる。その瞬間に自治会活動に興味の無い方が選ばれてしまう。

 毎年の自治会長のうち、筆者の考えに共鳴して、自ら進んで環境整備会(剪定グループ)に入ろうという方は1割程度だ。後の方は残念ながら無関心で、その中にはどういうわけか足を引っ張ろうとする人がいた。どういう目的なのかは知らないが、よその人たちと連携してあらぬ情報を流して妨害しようとする。

 一番驚いたのは、バス停建設の費用を筆者が多めに見積もらせて横領している、というものであった。その建設に際しては、どうすると安く出来るかを研究して、通常の建設費の半分程度にすることに成功した。県道上に建てるので、「県からの許可、警察からの許可その他諸々のペーパーワークをすべてしてくれるなら」という条件で、特別に安くしてもらえるところに頼んだ。工事業者は地元の元PTA会長で、筆者の活動に理解を示してくれていたのだ。どう考えてもこれ以上安くはできない。筆者は走りまわって許可を取り付けたが、かなり大変な作業だった。 

 また、その建設時に自治会長にニ時間ずつ交通整理に参加して戴いた。参加すれば愛着が湧き、後で振り返って良い思い出になると思っていたが、「強制的にやらされた。」と言って歩いた人もいた。いろいろな人が居るものだと思った。

 この種のフェイク情報を流して喜ぶ姿は理解しがたい。その他、老人会と縁を切るとか、公園整備を請け負っているシルバーさんを追い出すつもりだなどと、呆れ返るようなことを触れて歩いていた。彼は何をしたかったのかは後でわかったが、そのことはまた機会の機会に書くことがあるかもしれない。

 ある人が、そのフェイク情報を流した人を知っていて、「『自分ならこうやって金をせしめる。』ということなんだよ。彼はそうやって生きてきたんだ。」と言ったので驚いた。

 一方、筆者の考えに賛同された方たちは、剪定グループに入り、まちづくり協議会発足の準備に尽力してくださったのだ。自らやりたいことをする人達が集まったのだから、うまく行かない筈はないのだ。 

 

双方代理 利益相反 自己取引

 難しそうな法律用語であるが、簡単に言うと同一人物がお金を渡す方と受け取る方に居るのはまずい、ということである。これは民法で禁止されている。

 ある団体の代表者が、自治会連合会の執行部に居て、その団体に補助金を出す時がそのわかり易い例だ。多く出してやろうと思えば簡単に出来る。公正にやっていたとしても、周りから見れば怪しまれるだろう。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず、である。

 こういうことはよく見た。PTA会長が文房具店を経営していて、PTAで必要な消耗品を納品していた。これはまさに自己取引の典型例である。たとえ安く納めていたとしても、怪しまれたら抗弁できない。やめるように言ったが、うるさいことを言う奴だと、排除された。

 先日、市役所のまちづくり協議会を担当する部署で、新しく発足する協議会の規約を見せたところ、「発足時に最初から老人会、PTA、防災委員会、防犯委員会などの代表者を代議員として中に入れたらどうか、よそはそうしている。」と言われた。

 これこそがその問題点なのである。お金を配分してもらう側の長が、事務局内部で意見を言うのは避けるべきだ。事務局が客観的に判断して、お金の分配をすべきである。市役所にはそのことを話しておいたが、理解してくれたかどうかはわからない。

 しばらく前に変な経験をしているので、筆者はこういうことには敏感なのだ。ある団体が、連合会の総会に来ていた。傍聴人なのだが、驚いたことに、予算書を自分達にも見せろ、予算額を増やせ、などと大きな声で怒鳴り、議事を妨害し、流会させた。これと同じことを市議会でやったら警察沙汰になる。このような人たちが、まちづくり協議会の事務局に入り込んだら、何が起こるかはわかるはずだ。性善説が通用しないことはいくらでもあるのだ。

 我々の事務局は、単純な機能しか持たせない。ひたすら客観的に行動する。

 

<追記> 遠い親戚に、田舎の自治体の教育委員をしていた人が居た。その家は文房具屋をやっていたのだが、在任期間中はすべての入札に参加しなかったそうだ。「それだけは偉かった。」と、長男のお嫁さんは言っていた。 

まちづくり協議会設立準備委員会 の後半の7文字を外す

 当地区の設立準備委員会は3年前に始まった。剪定を市から請け負うに当たり、自治会連合会で請けようと思ったのだが、市は準備委員会でなければならないと言う。その理由はさだかではないが、他の自治会連合会との比較をされることを避けたのかも知れない。

 ともかく3年やってきて、脱皮してまちづくり協議会になる時に、剪定部会が中心にならざるを得ないのは、その経緯上仕方がない。我々はその内部で、脱皮に向けて様々な工夫をしてきたのだ。当地区の連合会には報告をして了承を得ている。しかし、外部からは非常に不思議に見えるらしい。剪定しかやっていない連中が中心に居るように見えるのだ。我々もそれに気がついている。実は剪定部会の中で、法律家、行政の専門家の意見を求めながら、どうすべきかを探ってきたのである。この点においては、誰にも満足して戴ける結果が出ている。剪定部会を組織している人たちの大半は、過去7年間の自治会長すなわち自治会連合会の会員だった人たちである。筆者と様々な問題点について語り合って、その解決策を見つけることに尽力してくれた人たちである。

 とにかく5月1日には脱皮せねばならない。その瞬間は剪定部会が中心であるが、脱皮後直ちに次のステージに登り、組織変更をする。そこには防犯委員会、防災委員会、老人会、PTA、自治会連絡会(連合会の発展的解消後の姿)、その他のボランティア組織が参加して戴くことになる。おそらく初年度は総会を複数回開いて組織変更をする。

 我々のまちづくり協議会には全く縦組織がない。要するに、なにかをやりたい人が集まってきて、活動する。はやりの言葉で言えば、「自己実現の場」である。まちづくり協議会事務局はその交通整理をするだけである。お金が要るとなれば適正かどうかを判断して渡す。領収書はきっちり提出させ、使途不明金が無いようにするのは当然である。往々にしてこの種の組織では、補助金を狙って接触して来るのが居るのである。

 民生委員、消防団などの非常勤公務員組織とは協力関係にあるが、法律上のことがあってお金は渡せない。

連合会は硬直した組織 !?

 最近、連合会を発展的解消してまちづくり協議会にするということを、いろいろな人に話している。ほとんどの人が、「あっ」という表情をする場面がある。

 連合会は「消極的な組織です。」というくだりである。よく考えてみれば、くじとか誰かの推薦で、自治会長が決まって連合会にやって来る。やりたくてやって来る人は稀である。筆者も甥の結婚式で京都に行っている間に、自治会長になっていた。

 そういう人が、与えられた仕事を積極的にするだろうと期待するのは難しい。筆者も全くやる気がなかったが、18年分の会計簿を見て愕然とした。これを見て見ぬふりをすることはできないと思った。当時は仕事をしていたから忙しかったが、頑張ってやってきた。いくつかのプロジェクトを立ち上げ、順次完成させてきたのだ。その間、何人かの自治会長が協力してくれ、今ではまちづくり協議会設立に向けての得難い協力者となって戴いている。

 話を元に戻そう。やりたくない人が自治会長になると、割り振られた仕事をごく適当にやって、1年が経つのをひたすら待つことになる。任期が終われば、さようならである。しかも、彼らはほとんどが男性で、高齢者である。若い人は少ない。

 話をしていると、「そんなことは聞いとらんぞ。」という、できない上司の見本のような言葉を浴びせかける。自分が話を聞いていないのは明白なのだ。聞きたくもない話だからだろう。しばらく前に説明した時に「分かった」と返事をしているのだが。

 こんな組織では駄目だ。総務省の「地域運営組織の形成および持続的な運営に関する調査研究」というのがある。ここ数年間に亘って、調査結果がUPされているから、ご覧になるべきだろう。かなりの分量だから、体調の良い時に目を通されると良い。

 それを読むと、”自治連合会の存在が諸悪の根源”と言わんばかりのことが書いてある。筆者は体験者であるから、それは実感している。何でもかんでも、連合会での意思決定が求められる。連合会はそれほど頻繁に総会を開いていないから、決めるチャンスは少ない。

 さらに、市は事あるごとに連合会長の許諾を求めて来る。年に数回以上ハンコを押してくれと言って来るのだ。自分の土地でも何でも無いところの道路を掘るにもかかわらず、連合会長のハンコが要ると言う。無意味なことである。ある時から、筆者はその種のハンコは断っている。当初、市の職員は困ってしまい、押してくれと土下座までする始末だ。

「帰って課長、部長に言いなさいよ。何の権利も義務もない人にハンコを押させて、仕事をしたふりをするのはおやめなさいと。」職員は唖然としていたが、そのまま続けた。「工事をしたければ、回覧板に挟むビラを作って持って来なさいよ。配ってあげますから。」その発言は効果があったようだ。何も言って来なくなった。これで良いのだ。この種の要請に応じていると、連合会長は自分には何かの権能があるかのように錯覚する人も出てくるだろう。何も無いのだ。あるはずがない。  

停車を遠慮願う枠を描いて貰った

停車を遠慮して欲しい部分

  以前書いた交差点近くに停車禁止枠が描かれた。厳密に言うと停車禁止ではない。警察に行って公安委員会の許可を取らねばならないと思っていたが、法律上の拘束力のないパターンを道路上に描くのは、道路管理者すなわち市に許可を取ればよいだけということが分かった。申請するとすぐに許可が降りたが、業者の手配に手間取った。費用を負担したのは、この写真の写っていない左側にある自動車販売店である。

 

 写真の奥の方に信号機が見える。そこが交差点で、この交差点を小学校の児童が数百人渡る。昼間は良いのだが下校時に、この禁止枠のところを向こうから来て右折する(写真では左へ)車があると、信号で止まっている車があれば渋滞が始まる。その渋滞の末尾は信号の向こうにまで行ってしまう。すなわち、太い県道からの左折車、その反対方向から来る右折車が動かなくなる。横断歩道には児童がたくさんいて、なにかの間違いで追突があると横断歩道に突っ込んで、死傷者が出る可能性があった。

 信号のところにはボランティアの方が待ち構えて居て助けてくれるが、この部分の渋滞は時々発生してヒヤヒヤしていた。自動車販売店に申し入れて枠を描いて貰うことができれば、先に説明した右折車の停止がなくなるから、不安は解消する。

 お願いしてから半年以上かかったがようやく昨日完成した。法的な拘束力はないが、必ずそこを避けて止まってくれるので、向こうからの右折はスムーズに車が流れる。大成功であった。

 販売店の店長氏はよくやってくれた。会社の上部と掛け合ってくれ、必要性を説いて実行してくれたのである。感謝したい。

 描くパターンは単純明快な四角である。斜線を入れたり、文字を入れることも考えたが、市の担当者いわく、「初めは単純なものが良いのです。徐々に人間は慣れますから意識しなくなって踏んで止まるようになります。そうしたら、斜線を入れると止まらなくなります。その次は黄色にしたり、文字を書くと良いのです。」だそうだ。

 さて何年で止まらなくなるのだろう。

  

 

 

消防団への金銭授与

 古い友人から電話があった。彼は自治会長をしているという。たまたまこの「連合会長日記」を読み、筆者のことだろうとすぐ分かったと言う。

 彼の自治会連合会では、消防団に金を渡しているらしい。協力金という名目だそうだ。「これって、良いのだろうか?」という質問であった。

 

 結論は簡潔明瞭であって「違法行為である。」だ。これは横浜地裁での確定判決がある。地裁レベルでの確定判決は珍しいのでよく覚えていた。「法律によって禁止されている。」としか無い、極めて短い判決文である。これでは反論できないのは自明でそのまま確定した。消防団側についた弁護士が居たことも不思議な話だ。勝てるわけがない裁判である。

 消防団員は非常勤の公務員である。地方公務員法で、公(おおやけ)からの金以外は受け取ってはいけないとある。しかしこれは無視されている地域が多い。

 実は当連合会も支払っていた。1軒あたり80円、連合会全体で9万円弱、この地域の5連合会で40万円強を毎年払っていたのだ。連合会長に就任後、帳簿を見てすぐに気が付き、5連合で消防団との会見に臨んだ。消防団は、「このお金は有効利用している。」と言う。内容を聞くと、呆れてしまった。

 保険料として、年に20万円以上支払っていると言う。保険料はドブに捨てられたも同然である。彼らは公務員であるから、公傷を受けたり、殉職することがあれば、非常に多額の賞恤金(しょうじゅつきん)が支払われる。すなわち、保険など入る必要は全くない。その他は操法大会に行く旅費だと言うのだが、中身がわからない。酒を飲む金ではなかったと言い張るが、そんなことを言っているのではない。受け取ってはならないと法律に書いてあるのだ。

 交渉の結果、時効までの3年分を取り戻したが、その後筆者はかなりの悪者扱いをされていた。どちらが悪いかは自明であるのだが。暗いところですれ違いざまに、「お前のところが火事になっても誰も消しに行かないぞ。」と言われたこともある。それは収賄を認めたということである。

 市の消防本部にまで出向いてこの話を確認したところ、本部では、「金を集めることを禁止している。」と明言する。しかし実際はまだ集めているところがいくつかある。そこの連合会長に聞くと、「法律がどうなっていても、我々は払い続ける。」と言ったので驚いた。この種の問題は根深い。

 根本的なことは、彼らに自分が公務員であるという自覚がなかったことだ。非常勤であっても公務員なのだ。法律を遵守する義務がある。

 消防団の詰め所に行くと今でもタバコを吸っている。公的な建物の中の喫煙は禁止されているが、そんなことは知ったことではないのだ。今度消防本部がこの地区に引っ越してくる。安全な場所に移るのだ。その時また消防団のための建物を建てると言う。その会議で発言を求められたので、新しい建物内での禁煙を厳命するようにと念を押した。

防災委員会

 新組織には防災委員会が立ち上がる見込みだ。南海トラフがいつ動くかわからないが、筆者の生きているうちに起こるだろう。

 当地区はおそらくかなり安全な地域にある。すべての活断層から 2 km以上離れ、標高は 70 m以上ある。しかも全ての建築物が新耐震基準を満たしているという、類まれなる地区である。すなわち、地震にも水害にも耐えられるであろう。家の中で転んだ家具に挟まれるとか、調理中の火からのボヤはあるかもしれないが、大半の家は大丈夫であろう。

 活断層は遠くの地震でも誘発されて動くことがある。動くと大災害である。この地区から 10 km程度離れているが、約500年ごとの地震により、毎回 6 m動いた証拠のある大断層がある。天正地震(信長の安土城が崩れた)から考えると、そろそろ次の地震の時期である。これが動くと、そこを走る鉄道、国道は壊滅する可能性がある。

 先の東北新幹線の脱線も活断層の真横であった。活断層から300 m離れると耐震住宅なら大丈夫という結果がアメリカで出ている。カリフォルニアでは法律を作って、その地域を無人にした。平均22年に一回の大地震を起こす有名なサンアンドレアス断層での話である。その結果、先回の地震では、地上での死者はゼロであったらしい。さすがにそれを日本でやると住むところが無くなってしまうが、心しておくべきだろう。

 考えることは他にあるのだ。水害などの被災者への対応である。小学校は避難民を収容することになっている。我々地元民はその援助をすることになっているのだ。すなわち、援助の演習が必要である。今年の防災訓練はそれをすることになっている。これは昨年から市にお願いしてある。昨年はコロナ禍で中止になったが、今年は可能であろう。

 防災ということになると、「防災倉庫を建てて食料・水を備蓄し・・・」という口上に乗せられてしまう人が多い。某地区でそれをやったようだ。5年後に防災倉庫をあけてみたら、食料はすべて粉々になり、水のボトルが変形したり破裂していたらしい。夏は80 ℃、冬は零下になるのだから当然である。こういうものは各家庭で保管し、古いものから順に使えば良いことである。これはアメリカでもやっていた。

 有事のときには高速道路を使って、他の地域から食料、その他が届き、インターチェンジ付近の巨大な倉庫に収納されることになっているという。これは自治会長をともなって現場見学に行った。

 水は近くに上水道の配水タンクがあり、その下に蛇口が10ほど並んだ給水施設があるが、これは連合会長である筆者自身も知らなかった。たまたま工事の立ち会いに行った時に見て、どうして見学会をさせてくれなかったのかと聞いた。近々自治会長たちと見学会をする予定だが、肝心の水タンクの耐震性能はどうなのだろうか。